童謡
「童謡」を辞書で見ると、
[1]子供のために作られた歌謡・詩。近代童謡は大正中期から「赤い鳥」を中心として発展した。
[2]民間に伝承されてきたわらべ唄。子守唄や遊びの時に唄う唄など。
[3]子供が作った歌や詩。
と書いてあります(大辞林)。拙者の理解とも近いです。ただ、「童謡」の前半が「子供」、後半が「歌」ですから、この部分を上の定義とは違ったようにまとめて意味を作り出すことも可能です。それは、一般の理解とは異なるかもしれませんが、言葉の使い方は多数決なので、賛同する人たちが多ければ、その意味も市民権を得ることでしょう。
引用します。
女の子が土手の上で「お手手つないで」を唄っているのを見ても、さしたる感興は湧かない。
それは、ただの子供の情景である。
だが、人生にくたびれたキャバレーの中年ダンサーたちが、ホームで電車を待ちながら、同じ唄をうたっているのを見ると、心に沁みるものがある。
彼女らが唄っているのは、唄ではなくて、「彼女らの子供時代」そのものだからである。
こう書いているのは寺山修司です。『日本童謡集』の「まえがき」の一部です。彼はこの本を編集するにあたって「どんな唄でも、それが私たちの子供時代にあった唄ならば、私は「童謡」として扱うことにした」と記しています。この理解だと、「子供」+「唄」の解釈は「大人になってから自分の子供時代を思いながら歌う歌、聞く歌」みたいな感じだと思います(*1)。実際、本の副題は「「青い眼の人形」から「唐獅子牡丹」まで」です。
拙者は沢田研二の「勝手にしやがれ」を聞くと小学校の修学旅行を思い出します。行きのバスの中で杉本君が沢田研二のまねをした姿がよほどおもしろかったのか、頭から離れないからです。帽子を投げたかどうかは覚えていませんが。その旅行で伊勢に行ったのは良いけど、かばんのファスナーが壊れて開かなくなり財布が取り出せなかったので、ろくにお土産を買って帰らなかったことなども同時に思い出します。つまり、この歌は拙者の「童謡」です。
おそらく、誰にでもこういった「童謡」があるでしょうし、その「童謡集」は人によってかなり異なるでしょう。でも、この「童謡」の解釈はなかなかすてきだと思いますし、もしかすると、たとえ辞書には書いてなくても、多くの人たちが納得するかもしれませんね。
この『日本童謡集』は両親のところに1冊おいていますが、もう1冊欲しかったので新しく買いました。とくに「まえがき」と「プロローグ」が良い文章です。
(*1) дети — детство — в детстве


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