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2015年4月30日 (木)

夕陽

拙者は海と山が近い地域に生まれ育ったので、坂に上れば海が見えるのが原体験です。できればこういう坂の上に住みたいですが、買ってきたお米(5キロ)を抱えてえっちらおっちら上るのはしんどいですし、往復にバス代を費やすのはもったいないですし、車を出すほどでもないと思う拙者は実にわがままです。こういう我を通しているので、今住んでいるところは少しばかり高台なのですが海が見えません。

こんな身勝手な拙者が楽しめるのは夕陽です。これなら見えます。自室からのみならず、どこにいても夕陽は美しいものです。しかし、もしかすると、場所を選べば夕陽はさらに味わいをまします。司馬遼太郎は書いています:

夕陽ヶ丘からみる夕陽は美しい。
私は学校に通っていたころ、このあたりが好きでよく歩いた。ある夕、朱色 — あまりにもあざやかな朱であるために天体とはおもえない太陽が、大気のなかを漂うようにして沈んでゆくのを見て、息をわすれるような思いがした。
——大阪の名所をあげよといわれれば、この崖ではないか。と思ったりした。(『十六の話』から「大阪の原形 — 日本におけるもっとも市民的な都市」, p.230)

学校は当時の上宮中学校か、大阪外国語学校かわかりませんが、場所ははっきりしていますね。大阪の地下鉄では谷町線の「四天王寺前夕陽ケ丘」の西側のあたりです。

もし、遠方の方はイベントにあわせていらっしゃるのも悪くないでしょう。それは、四天王寺さんの「日想観(じっそうかん)」法要です。お彼岸の中日に開催されるとのことです。拙者は何度か訪れています。お経をききながら、自分でも唱えながら、石鳥居の向こうに沈む夕陽を味わい、心を静かにするのです。

余談ですが、日の入り (1) が非常におそい時間だとか、そもそも日の入りがないような地域や季節ならどうなっていただろうと、想像してみることにします。

(1) закат Солнца, заход Солнца.

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